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施設の雰囲気が暗いのはパソコンがないせいだった?!

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介護
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介護の仕事を長年やっていると「パソコンが使えない」という声をどの年代からも聞きます。

パソコンが使えなくても介護現場は回せますから、それほどパソコンを重要視していない介護施設もまだまだ見られます。
また一台当たりの費用が高額だったり、「今からパソコンを使うために勉強するのもちょっと…」とためらいがちになったりすることもあるでしょう。


今回は「それでもなぜ介護施設にパソコンが必要なのか」というテーマを、10以上の施設を見回った僕の視点からお話していきます。

話のメインは介護歴の長いリーダーや施設長さんを対象にしていますが、現場で働く職員さんにも通じる内容となっています。
また他業種の方には「こんなことになってるの?」と驚くような話になっているかと思います。


読み終わった後には施設を取り巻く「暗い雰囲気」を生み出す一因を知り、その解決策としてパソコンを導入する必要があることが見えてきますので、どうか最後までお読みください。

介護士にパソコンはいらない?

介護業務は利用者さんと直接かかわるものが主で、パソコンのような便利なデバイス(電子機器)を使わなくても仕事が成り立ちます。

自分たちが関わる範囲では不要なのですから、「パソコンが使えなくてもかまわない」と介護士さんが考えるのは無理のないことでしょう。


しかし、そんな彼ら彼女らもいずれは昇進してリーダーやサービス提供責任者等になります。


それまでは利用者さんと一対一で介護に勤しんでいれば良かったわけですが、リーダーや責任者は施設全体にまで業務範囲が広がります。

毎月のシフト調整や計画書・会議資料の作成など、毎月にやらなければいけない仕事が山のように増え、それらを介護業務と兼任しながら行うことになります。


このとき、手書きや人力では到底時間が足りないという事実と直面することになります。


しかも計画書・会議資料など外部に渡す資料は形式を重視されますから、丸々手書きの資料を渡せば相手方に「この施設は(今時これで)本当に大丈夫なのだろうか」と内心思われてしまいます。

特に介護は他業種とのチームワークで行うことになりますから、チーム全体で話し合う調整会議では資料の出来栄えによってチーム内での力関係が決まることもあります。

ことさらポジションを取りに行く必要はありませんが、資料が満足に作れないせいで相手に不信感を与えないようにするのは礼儀とも言えます。


こんなことを書くと


「ウチは現場の実践を重視しているから問題ない」
「会議での発言力があるから大丈夫だ」
「介護にそんなひねくれたことを考える人はいない」


といった意見をいただきそうですが、会議はメンバーが決まり、事前資料が配られた時から始まっています。
であれば、相手のために資料をわかりやすく整理することが何よりも大切なのがわかるはずです。


そしてその為には、パソコンで見やすい資料を作れるよう使い慣れておく必要があるのです。

手書きのほうが温かみがある?

歴の長い介護士さんの中には「私がこれだけの想いでやっているのだから正しい」というタイプの方が見えます。

そのような方々に共通するのはこれまでの介護の成功体験から来る絶対的な自信であり、その成功体験を導き出した「想い」への絶対的な信頼です。「介護への自信」と「想いへの信頼」が他のものを受け入れる余白を埋めてしまい、なかなか新しいものを受け入れられないのです。


僕が以前お会いした方で、「文章は手書きのほうが温かみがある」と言って一切パソコンを使わない方がいました。

その方の書く文字は特段綺麗という訳でもなく、可もなく不可もありません。
ペンにこだわりがあるわけでもなく、まして「温かみ」があるかどうかも判断がつきません。
良くも悪くも「普通の字」を書く方で、その方の文字ないし文章について良い評判を誰かから聞くことはありませんでした。


にもかかわらず、その方は公私ともに手書きにこだわります。


「私」についてはさておき「公」でも手書きにこだわるため、その方の出す資料は表やグラフのない文字の羅列になります。

手書きですから、当然のように出来上がるまでに時間が掛かります。
何度か会議時間ギリギリに仕上げて上司の顔を青くさせていました。

資料のテーマに対する「想い」が詰まっているので文字数も他の方とは桁違い。
そして行間隔や文章校正を行わずに提出されますから、端的に言えば「読みづらい」資料です。


当時の上司がその点を何度も指摘していましたが、「これくらいの文章が読めなくてどうするの?!」と言い返され。
「パソコンを使った方が良いのでは?」と進言しても「あんな『冷たい』文章で何が伝わるの?!」と説教される始末。


そうまでして作り上げた資料が実際の会議に出されても、職員の多くが最初から読むのを諦めてその方が解説するのを黙って聞く形にしかなりません。

話を聞き終わってから意見を出そうにも考える時間がないわけですから、資料として役立つことはありませんでした。


まして「温かみ」を感じる余裕など、どの職員にもなかったのです。

「パソコンを使わない」という理不尽

一方で「パソコンが使える」というのが介護現場で価値をもつことがあります。

例えばパソコンとプロジェクターをつなげられれば大画面で写真や動画を利用者さんに見てもらえますし、インターネットにつなげられれば計算問題やクイズ、塗り絵といったレクリエーションも自在に提供できます。

もし施設の様子を発信したいと思うならSNSやブログを活用することが出来ますし、物品の注文もFAX用紙など使わずに簡単に行えます。


ところが。
施設によっては未だにこのように便利なものを取り入れずに職員の労力を無料で利用します。


A3サイズの用紙に写真を一枚ずつ印刷して利用者さんに回し読みさせたり。

塗り絵の下絵を絵の上手な職員に残業させてまでして描かせたり。

脳刺激のためにレクリエーションの本を定期購読して費用を無駄遣いしたり。

イベント告知のために無差別にチラシを発注してばらまいたり、FAX用紙を浪費したり。


パソコン一つ使えたら瞬時に、そして無料で解決できるようなものに時間や労力を費やして、職員の犠牲を無自覚に強いるのです。



この「無自覚」というのがポイントで、指示を出す側には強制するつもりがありません。

「職員ならばやって当然」という感覚で職員に無償の奉仕を求めるわけですから、職員側としては「やらなければマイナス、やってようやくゼロ」という罰を与えられているようなものです。


これでは職員の意欲は落ちていく一方ですし、帰属意識が薄れて当然ですね。

一方的に「(やらない)お前が悪い」と罰を与えられているわけですから、そのような罰を与える施設で働きたいとは思わなくなりますし、恩義を感じることもなくなります。

つまり指示側のパソコンを始めとしたテクノロジーに対する理解が薄いばかりに、やらなくてもいい仕事を課し、時間と労力、費用を浪費させた挙句人心を離していくのです。



以前の記事「勉強する介護士」が少ないのはなぜ?でも触れましたが、介護に携わる者が勉強を怠ればその影響は本人だけではなく周りにも及びます。

それだけにリーダーやトップに立つ者の「介護分野以外の学び」は施設の存続にかかわるレベルで欠かせないものなのです。


「自分は介護の人間だから」と介護の勉強ばかりしていては、時代に乗り遅れてしまいます。

周辺施設がパソコンを始めとしたテクノロジーを取り入れ問題解決に勤しむ中、自分の施設だけがいつまで経っても変わらずにいれば、利用者・家族、職員に見切りを付けられるのも時間の問題です。


そうならないよう職場の理不尽を一つひとつ消していくためにも、まずはパソコンについて学ぶところから始めてみませんか?

まとめ ~価値観で分断された職員を再びひとつに~

「パソコンが使えない」環境というのは、業種によっては驚く内容だったかもしれません。

しかしアナログ世代が組織のトップである確率が高く、まして普段の業務にはパソコンが不要な介護施設では一般社会ほど普及していないのです。


もちろん積極的にパソコンを始めとしたテクノロジーを取り入れている施設は増えていますし、Youtubeを始めとした動画配信サイトで自施設の様子を投稿して宣伝を行うところもあります。

なかにはネット通販を取り入れて商品を販売する施設もありますし、ZOOMなどのビデオ会議で移動の手間を省いて効率的に会議を行う施設もあります。


それだけに、パソコンを始めとしたテクノロジーを取り入れているかどうかは死活問題です。

物事に取り掛かるスピード感・精度・価値観に初めから大きな差を付けられているわけですから、時間が経つにつれ施設の生存競争から脱落してしまうことも十分にあり得ます。



時代は変わっていきます。良い方へ、確実に。

それは先達が苦心して道を切り開いてくださったおかげであり、僕たち介護士はその恩恵に対して感謝を込める意味でも介護に勤しんでいます。


ですから、今日に至るまでの道のりを介護の中で聞く時間が欲しいと願います。
雑務のために働くのではなく、目の前にいる利用者さんのために働きたいのです。


その想いも空しく「職員はかくたるべし」と前時代的な業務を押し付けられれば、僕たち介護士が提供できるサービスも同様になります。そしてそのサービスを受ける利用者さんもまた変わり映えのしない日々を送ることになり、徐々に生きる楽しみを失っていきます。

そうして久々に面会に訪れた家族さんがその様子を見たとき、何を思うのでしょうか?
すっかり元気をなくした姿を見て「この施設に預けたのは間違いだったかもしれない」と思うのではないでしょうか?



このような事態を避けるために、職員の力を注がせるポイントを見直しましょう。

現場にいる職員に「時間や労力を浪費させられている」といった理不尽な思いをさせないこと。
利用者との関わりにこそ職員の力を注がせ、サービスの質を向上させること。
利用者と職員がお互いに充実した毎日を過ごして初めて施設の雰囲気が明るいものへと変わるのです。


苦労して歩んできた道のりは尊いものです。
しかし後から来る者に同じ道のりを歩ませては、いつまで経っても前には進めません。


簡略化・効率化できるところは可能な限り最適化して、施設全体が利用者・家族・職員を含めた誰からも望まれる形になっていくこと。

そのための第一歩が「パソコンを取り入れること」だと僕は感じていますし、何より価値観のすれ違いから施設職員が分断されるのは見ていて辛いものがあります。


お互いに歩み寄り、より良い施設になるよう前へ進んでみませんか?


【併せて読みたい記事】
「勉強する介護士」が少ないのはなぜ?
介護士と家族の関係性とは?


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