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神経質すぎる利用者さんとの思い出 ⑥込められた想い

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介護
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前回に引き続き、神経質すぎる利用者さんとの思い出をお話しします。

その方の「細かさ」に寄り添うことで得られた「気づき」の力。
それは昇進を招いた一方で体の不調も招きました。
そんな中、別れの時が訪れて…

その話の続きになります。

その一言

月日が経ち、サービス提供責任者として新規施設に移る前の最後の日。
僕はその方に14時のおやつを運びに訪室しました。

僕が異動になったことは事前に話されており、僕自身もそのことを伝えていました。
派遣社員のときは別れを語ることなく離れていきましたが、この時ばかりはそうはいかないと考えてのことでした。


入室するとその方はこれまでどおりベッドの上から上半身を起こし、僕がおやつを運んでくるのを待っていました。

「今日が最後だってね」

僕の顔を見るなり、その方はとても柔らかな笑顔で話を切り出しました。「お世話になりました」と挨拶を交わしつつその方の側に近寄ります。

「ナカさんがいなくなるのは寂しいけど、あなたも出世していろんな人を助けていかないとね」
「はい、そうですね」

ベッド側のテーブルにおやつと紅茶を置き、僕は膝を追ってその方の目線の高さに自分の顔を合わせます。

「最近は気の利く人も増えてきて、前みたいに怒ることもなくなってきたんだよ」
「このところ寝る前の薬も飲まれていないですし、みんなも心得てきたのかもしれませんね」
「そうだね。僕が我慢強くなっただけかもしれないけどね」

その言葉に、僕は言葉ではなく笑みで返しました。
「どうしても気になって仕方がない」と悩んでいたその方が我慢強くなったというのならその強さはその方自身が得たものであり、僕がどうこう言うべきものではないと思ったのです。


続く言葉はなく、厳かな沈黙が部屋に満ちていきます。


いま、何を伝えるべきか。
その静けさは一年ばかり自分の「細かさ」に全力で付き合った若人にむける言葉を探しあぐねているようでもありました。

「きっともう会うこともないんだろうね」

あまりにも普段通りに紡がれた言葉。
その言葉の意味を、真意を理解するには時間が足りない。

「…そうとも限りませんよ。施設を建てても人が集まらないことには暇ですし、こちらにもまた応援に来るかと思いますよ」

とっさに返した言葉としては不足ありませんでしたが、その方の口から「もう会うことはない」と言われて僕は内心ひどくうろたえました。


なにしろ僕が最後にこの方の部屋に訪れたいと思った動機を言い当てられてしまったのですから。

笑って

新規施設に異動するだけならまだしも、そこに介護の責任者として赴任する以上むやみに動くことはできません。

特に今回の施設に集まった職員は一人として介護経験者がいません。しばらくは職員指導に努めて施設全体の介助力を底上げしないことには現場が回らず混乱してしまいます。

それが落ち着いたとしても、責任者として入居者の訪問介護契約から計画書作成まですべての事務作業を一人でやらなければならず、状況が落ち着くまでに何年かかるかわからない状況でした。


――だから、この日を最後にその方と会うことはない。
  そのように覚悟しておかなければ不意打ちに耐えられそうにない。


この一年余りでその方と紡いできた日々は、寄り添った想いというものは、周りがどのように感じていようとも僕にとって尊いものでした。


確かにその方の「細かさ」は無差別に人を傷付け追いつめてしまいます。
僕にしても例外ではなく、何度心折れそうになったかわかりません。

でも、それは過去の話。
自分が傷つけられた過去に縛られて現在のその方との関係性を自ら損ねていくのは間違っている。そう考えていました。


「そうか、また会えるかね」
「…はい」

可能性は低いけれど、と心の中で付け加えて。

言葉に出せない代わりに僕の表情や醸し出す雰囲気、あるいは自分で気づいていない癖などから、きっとその方には僕の動揺は見透かされていたのだと思います。それを悟らせてしまえばその方自身を傷つけてしまうと理解しているからこそ、不器用にも隠そうとしていることも。


一口紅茶を含み、舌で味わい飲み込んだ後でその方は微笑みながら

「それなら、今よりもずっと成長したナカさんが見てみたいな」

と言われました。
その言葉に胸の奥から何かがグッと込み上げてきて、どう返事をしていいのかわからず視線を返すことしかできませんでした。

「この施設に来てから息子夫婦や孫とも年に一回会えればいい方で、職員さんとはこんな調子だからずっと部屋に閉じこもってばかりだわ」

自嘲気味にそう話し、さらに一言。

「職員さんのなかでもナカさんだけは違った。あなたには僕のような人にも付き合える優しさがある。その優しさであなたがどうなっていくのか、楽しみだわ」

返事が出来ない。
目頭が熱くなるのを堪えるのに必死で。


この時になって、僕は生まれて初めてきちんとした「別れ」を迎えていました。

子どもの頃から独りなのが当たり前で、僕にとって卒業は孤独を感じさせる面倒な学校行事の一つでしかありませんでした。言葉を交わす友達もおらず誰からも別れを惜しまれることのなかった僕は、その方との別れを前にようやく人並みの「別れの悲しみ」を感じられたのです。


だからこそ、直感でわかりました。
どのような采配があったとしても、もう会うことはないのだと。

仮にこの施設に応援に来ることがあったとしてもその方の介助に入ることはなく、会うことも叶わなくなるでしょう。


なぜなら、誰も僕よりその方と寄り添うことが出来ないから。
たった一日でもその方と僕を会わせてしまったら、自分たちの介助に落胆させて以前のその方に戻してしまうから。

だからこそ「その方の今後の幸せを残った職員さんでできるだけ叶えるために僕とその方を合わせてはいけない」と次の責任者は判断するでしょう。


最後の日になってようやく、僕は「僕にしかできない方法」でその方の問題を解消してきてしまったのだと思い知りました。
それだけに、明日以降その方は再び自分の「細かさ」に苛まれるようになってしまうのだと。

その方の「細かさ」への対応は他の職員さんには(「再現できない」という意味で)伝わっておらず、近く眠れなくなって睡眠薬を飲まれるようになる。

そこからは眠気と倦怠感から来る不調がその方の「細かさ」を過敏にさせ、職員さんへの態度に現れるようになり、後は転げ落ちるだけ。僕という閂(かんぬき)が引き抜かれた後はこれまで抑えられていた「細かさ」の波が施設全体を飲み込んでしまうでしょう。


誰よりもその方本人がそれを理解していて、それでもなお僕の成長に価値を見出してくれたことに僕は何もできないのか。何か、言葉を…

「時間取らせちゃったね。そろそろ次の人の用事があるでしょ」

僕が言葉を紡ぐより先にその方の言葉にハッとさせらて、そして―

「今までありがとうね」

最後に、これまで見たこともないはにかみ笑顔を見せていました。

エピローグ ~罪を知る~

それから二年ほどが過ぎ、僕は新規施設の責任者として四苦八苦しながらもどうにか役目をこなしていました。

新規施設の職員さんは介護未経験者とはいえ強者揃い。
介護以外のことはまるで子ども並みの僕では役者不足ではありましたが、危うい場面を何度も迎えながらも仕事をしていました。


その中でも何度か元の施設に応援に入りました。

久々にやってきた僕を以前と変わらず迎え入れてくれる方やすっかり忘れてしまった方など反応は様々。懐かしい顔ぶれに心温まるものを感じたのを今でも覚えています。


そして予想した通り、僕がその方の介助に入ることはありませんでした。

ただこれは「会わせたくない」というよりも「大変だから応援に来た人に任せるのは忍びない」という意図が強かったようでした。その配慮を無碍にするわけにもいかず無理にその方と会おうとはしませんでしたし、その方も無理に僕と会おうとはされませんでした。


もしかしたら僕の気づかないうちに僕の姿をどこかで見ていたかもしれません。
あの時、その方が願ったように成長できていたかはわかりませんが、それでも「会わなかった」ことが一つの答えなのかもしれません。

推測でしかありませんが、会って話すよりも見届けることにその方の想いが込められていたのではないか、と。
これは根拠のない直感でしかなく、そう思い込みたいだけなのかもしれませんが、そう思わせるだけの一件があったのです。


何度目かの応援のとき、僕はその方の居室のドアから差し込まれる光が妙に明るいことに気づきました。まるで何かに祝福されているような、それでいて寂しいような、不思議な感覚がしたのです。

ドアの錠を見てみると鍵がかかっています。
その方は鍵をかける習慣がなかったので、いよいよ何かあったと思いドアをノックしてと中に入りました。


そこには、何もありませんでした。


その方の部屋はきっちりと整頓されており、掃除も行き届いていたはずで。

洗面台に続く手すり以外は「斜め」のものが一切なく、テレビやタンスは寸分の誤差なく居室の出入り口に対して平行になっていたはずで。

ベッド側に置いてあるコップの取っ手は本人に対して垂直位置にあり、リモコンも同様。それ以外のものは埃一つ存在が許されないほど綺麗で、曇り一つない眼鏡の奥で「待っていたよ」と言わんばかりの温かい視線を僕に向けていたはずで…


でも、それらが跡形もなく消えていました。
残されたのは窓から差し込む日差しと、宙に舞う埃のみ。

僕も責任者になって様々な経験してきましたから、この状態の意味がよくわかります。
わかっていましたが、それでも急いで介護室に戻って休憩していた職員さんたちにその方がどうなったのかを尋ねました。


その方は数週間前に隣町の大きな病院で息を引き取った、とのことでした。
段々と体が弱っていき入院を余儀なくされ、そこから無くなられるまでの数か月入院生活を続けられたそうです。

いつかはその時が来ると思っていたけれど、現実として突きつけられると胸を締め付けられる想いになりました。最後に交わした言葉が「今までありがとうね」というのも、心を震わせます。


しかし、続く職員さんたちの言葉がそれ以上の衝撃を僕に与えました。

「ここでもそうだったけど、入院先でもああだこうだと言ってたみたいで、そりゃもう本当に大変だったらしいよ。息子さんもあの人が亡くなられてからすぐに荷物を引き取りに来たし、サッと終わらせたかったみたいね」
「亡くなった方を悪く言うもんじゃないけど、やっぱりあの細かさにはついていけなかったわ。ちょっとは寂しさもあるけど、これでもうあれやこれや言われなくなるんだと思うと肩の荷が下りるわ」
「ホントにね。私たち言われたい放題だったもんね」

遠慮なく話す職員さんたちの言葉に、僕は絶句しました。

この状況を生み出したのは、その方の「細かさ」と向き合えるようにきちんと情報を伝えてこなかった僕自身です。その方の「細かさ」を一人で抱え込んで解決しようとした驕りが招いた結果であり、その罪は僕自身が背負わなければならないものです。


自分にしかその方の「細かさ」を解決できないなんて、どうして思い違いをしてしまったんだろう。
どうしてもっとその方のことを、「細かさ」を抱える辛さをきちんと話してこなかったんだろう。

伝えていれば、変わっていたかもしれない。
その方の「細かさ」に寄り添うことはなくても、せめて亡くなられたあとに人格を否定されるような事態にはならなかったはず。

ただ辛さを先延ばしにして、職員さんたちの思い出にその辛さを固定させてしまった。偲ばれることなく、時に「こんな大変な人がいて当時は大変だった」という自慢話のネタにされてしまう、そんな不本意な形でその方の尊厳を傷つけてしまった。


結局僕は、あれだけ尽力してその方の「細かさ」と寄り添っていながら何も守れなかったのです。
その方が僕に会わなかったのはそのことを暗に伝えたかったのかもしれません。


「やっぱり僕はダメだったよ」と。


その罪は、いつか必ず裁かれる。
償われない罪はなく、その時が来ることを忘れてはならない。


僕が心臓を傷めて倒れるまでのカウントダウンは、この時から着々と進み始めたのです。

~ おわり ~

それからのこと

僕の受けたショックとは裏腹に、その後状況は好転していきました。

その施設ではそれまで新規職員がなかなか定着しませんでしたが、その方が亡くなられてからは定着率が伸びていきました。それもまたその方の尊厳をおとしめる要因となり、まるで試練を乗り越えたかのような喜びに包まれていたようです。


僕はといえば、その後責任者の指導をする立場へと昇進することになりました。
一施設を見るだけでも大変でしたが、事業拡大を急ぐ本部の方針に従いその役を引き受けることとなったのです。


今にして思えば誰もやりたがらないであろうその役を引き受けたのも、その方に対する引け目があったからかもしれません。自分を過酷な状況に追い込めば少しは償いができるかもしれない、と。

そう考えてしまうほど、あの頃の僕は自分が犯した罪の大きさに囚われて自分を見失っていました。


本当に大切な、その方の「想い」を忘れてしまうくらいに。


その後の話は次回以降のお楽しみとして、今回で「神経質すぎる利用者さんとの思い出」は終わります。長々とお読みいただきありがとうございました。


その後の展開が気になる方は、以前の記事「想い紡ぐ介護士になるまで」で概要をお話ししていますので、そちらをご覧ください。

(記事:想い紡ぐ介護士になるまで


またこれまでのお話は「介護の思い出」というカテゴリに収めていますので、そちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。

(カテゴリ:介護の思い出


お話ししていない利用者さんとの思い出はまだまだありますので、そちらもお話しできるようこれからも記事を書いていきますね。

【併せて読みたい記事】
介護士が自分と向き合わないとどうなる?
利用者さんとの別れをどう受け止めたらいい?


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