仕事上介護職の方とお話しすることが多いのですが、「話がかみ合わないなぁ」と感じることが多々あります。
その原因がどこにあるのだろうと分析してみた結果、介護士の性質は5段階に分かれていることが見えてきました。
今回は「豊かになる介護士の5ステップ」と称して、介護の最終目標をどこに置くのかについてお話していきます。
ステップとは言うものの、これは「この段階だから良い・悪い」という話ではなく「自分がどの段階のにいるのか」を見据えて、「今後どうするか」を考える上での参考にしてみてください。
介護士の5ステップとは
「介護の最終目標をどこに置くか」という視点で介護士を見たとき、以下の通りとなります。
説明を読んで「自分はここにあてはまるなぁ」と思ったところが現時点でのステップです。
ステップ1:無気力
・介護に目標を立てず、ただ介護を行う段階。
・仕事として介護をやりたいのではなく、状況によって介護をやらされていると感じている。
・転職を考えるも実際に行動する気力も湧かず、状況が変わることを待ち望む。
ステップ2:給料
・「介護はお金をもらう仕事」と割り切る段階。
・給料の高い職場を転々とする、あるいは現職場の給料が上がらないことに不満を持つ。
・与えられた業務を自分にできる範囲だけでこなそうとし、多くはできていない。
ステップ3:改善
・介護に楽しみを見出し、介護業務の改善を目指す段階。
・業務に関連する知識や技術を身につけて現場で活かそうとする。
・自身の成長と周囲とのレベル差が気になり、孤立しやすくなる。
ステップ4:コミュニティ
・介護を取り巻く環境、そのコミュニティに目を向けられるようになる段階。
・介護以外の幅広い知識や技術を身につけ、コミュニティへの貢献を目指す。
・貢献に没頭するあまり「コミュニティの願いを叶える装置」に陥るリスクがある。
ステップ5:社会福祉
・「介護とは生命を次世代へと紡ぐ『人の営み』である」と理解する段階。
・介護が社会全体に与える影響を見通し「今ここに在る生命の尊さ」=「福祉」を表現する。
・物質的及び精神的な充足感のもと自立している。
冒頭でもお伝えしたように「どの段階だから良い・悪い」という話ではなく、「自分がどの段階にいるか」を客観視するためのツールとして捉えることが大切です。
また「ステップ1だからステップ5の性質がない」という話ではなく「ステップ1でもステップ5の性質を一部分持ちうる」といった、グラデーションのように溶け込んでいるイメージになります。
ステップ3:「正しさの罠」
・介護に楽しみを見出し、介護業務の改善を目指す段階。
・業務に関連する知識や技術を身につけて現場で活かそうとする。
・自身の成長と周囲とのレベル差が気になり、孤立しやすくなる。
【課題】
・知識や技術が周囲よりも高度化するが故に「自分が正しい」と思い込む。
【解決策】
・「正しさ」の性質を知る/チームワークの力を知る
ステップ3の特徴は『改善』を求めるが故の「正しさ」への固執にあります。
「この仕事ができる喜び」を感じられるようになったステップ3の方は「どうしたらこの仕事をより良くできるだろうか」と『改善』を考えるようになります。そのため介護に関する知識や技術を身につけ、個人の能力を高めていきます。
「介護に関する知識や技術」というのは、これまで介護に関わってきた方々の情報を集め、正しいかどうかを細かく調べたうえで世の中に広めています。それだけに知識や技術を身につけるだけで「自分が正しいのだ」と思い込むようになります。
事実として、その方が得た「知識」や「技術」は世間一般的に正しいと言えます。
周囲がそうした知識や技術を身につけずに独自の方法で、あるいは誤った方法で介護をしている姿を見れば「そんなやり方は間違っている」と口を出さずにはいられなくなりますし、黙っている間にも周囲が目の前の利用者さんに負担をかけている様を見てはいられません。
それで、「あなたは間違っている」と口を出す。
「自分はしっかり学んだのだから、自分のほうが正しいのだ」と。
それがたとえ自分よりも先輩であろうと年長者であろうと「間違っているものは間違っている」と断じるのです。なぜなら自分は先輩や年長者よりも更に高位の先達がまとめた知識や技術を身につけているのだから、そんな自分が絶対的に正しいのだという自信があるわけですね。
それが「正しさの罠」だとは気づかずに。
ステップ3の解決策 ①「正しさ」の性質を知る
ステップ3の解決策は2点。
「正しさ」の性質を知ることと、その上でチームワークの力を知ることです。
まずは「正しさ」の定義から見ていきましょう。
正しいとは
正しい -weblio辞書-
1 形や向きがまっすぐである。
㋐形が曲がったりゆがんだりしていない。「線に沿って—・く並べる」「—・い姿勢を保つ」
㋑血筋などの乱れがない。「由緒—・い家柄」
2 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。「—・い解答のしかた」「—・い内容」「公選法は—・くは公職選挙法という」「—・いトレーニング方法」
3 道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。「行いを—・くする」「礼儀—・い態度」「—・い判決」
このように「正しさ」とは「まっすぐ」であり「正確」であり、「乱れたところがない」様を言います。「知識」が「技術」が正しいのもそれが事実に合っており、道徳・法律・作法などにかなっているからです。
では、そうした「正しさ」を用いることは「正しい」のでしょうか?
言い換えると、「正しさ」を使う人はどんな場面であっても「正しい」人なのでしょうか?
混乱しそうな問いなので、上に出した例を見てみましょう。
「知識」や「技術」を身につけた人が、先輩や年長者に対して「あなたは間違っている」と「正しさ」で断じることが「正しい」ことかどうかについて。
これは一見して正しいように見えますが、その正しさによって先輩や年長者の感情が揺さぶられることを忘れてはいけません。
「どうして経験の浅いヤツに注意されないといけないんだ」
「ちょっと勉強したくらいで偉くなったつもりでいる」
「それだけ賢いんだったら自分で全部やりなよ」
こういった苛立ち、妬み、僻みといったネガティブな感情を呼び起こす結果となります。
それに対して「正しさ」を用いる側も「そんな風に思うなら勉強くらいすればいいのに」と、同じようにネガティブな感情を引き出されることになります。
そうして次第に「あいつは鼻持ちならない」と先輩や年長者に疎まれるようになり、また「あの人たちは全然わかっていない」と自分の正しさの殻に閉じこもるようになると、いよいよ職場の中で孤立するのです。
ではこの状態が「道徳にかなっているか」と言われると、とても道徳的とは言い難いです。
これは「正しさ」の定義に当てはまっていない状態なので「正しい」とは言えないわけですね。
このように社会では「論理的には正しくても感情的には間違っている」ということが起きることを理解し、受け入れなくてはなりません。
そしてなぜこういうことが起きるのかと言うと「ヒト」は理性と感性を併せ持つ生き物だからです。
理性とは
理性 -weblio辞書-
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「理性を失ってつっ走る」
感性とは
感性 -weblio辞書-
1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」
2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。
二つの定義を見れば理性を失えば野性的に、感性を失えば無機的になることがうかがえます。
このように「ヒト」が理性と感性のどちらか一方に傾いてしまうと「人らしさ」を失ってしまうため、「ヒト」の定義した「正しさ」の範囲からはみ出てしまうわけですね。
であれば、「論理的な正しさ」と「感情的な正しさ」の両面から「正しさ」を判断する必要があることがわかりますね。
正しさには「論理的な正しさ」と「感情的な正しさ」があり、その両面がそろって初めて「ヒト」としての「正しさ」を扱うことができる。
このことを踏まえると「知識」や「技術」といった理性を、感性を用いずに扱うことの危うさが見えてきます。
上の例で言えば「論理的な正しさ」でもって先輩や年長者の感情を断じるのは、それによって断じられる側の「感情的な正しさ」を無視しています。
それによって「感情的な正しさ」が「苛立ち、妬み、僻み」といったネガティブな感情を呼び起こし、その結果「論理的な正しさ」を用いた側もネガティブな感情の渦に巻き込まれてしまいました。
もし「感情的な正しさ」を併せて用いていれば相手側のネガティブな感情を呼び起こさずに、また自分もネガティブな感情を引き出されずに済んだわけです。
たとえば相手の立場を慮って、職場の後輩として「最近こんなことを学んだので、ちょっと見てください」とお願いする形で「知識」や「技術」を披露すれば、相手も感情を揺さぶられずに後輩の面倒を見る形でスムーズにそれらを受け入れられたでしょう。
実際に役立つものであれば「なるほど確かにそれがいいようだ」と受け入れられて、そうした「知識」や「技術」を伝えた人に対してポジティブな感情を持つことになります。
また褒められることで伝えた側も「伝えられて良かった」「褒められて嬉しい」といったポジティブな感情を引き出されますから、さらに知識や技術を高めていく意欲がわいてくるのです。
そうしてお互いがポジティブな感情でもって『改善』に向かえるのですから、この状態こそ「道徳にかなっている」と言え、真に「正しい」と言えるのです。
ステップ3の解決策 ②チームワークの力を知る
『改善』を進めていくためには、「正しさ」の性質を理解したうえでチームワークの力を知る必要があります。
そしてチームワークを考えるうえで大切なのは、個人が持つポテンシャル(潜在能力)と、チームが発揮するポテンシャルでは大きな差があるということです。
上でもお話ししたように、いくら個人の能力が高くてもチームの中で発揮されなければその力を持て余すことになります。(それが感情的な理由だとなおさら「やっていられない」わけですね)
逆にチームの中で個人の能力が発揮されれば、それは他のチームメンバーにも広がってその人個人の能力を高めるだけでなく、チーム全体の力を相乗的に高めることにもなるのです。
介護現場では、ともすれば「言われたことだけやればいい」と介護報酬に則った介護しかやらない方も見られます。ここでいうステップ1~2にあたる介護士さんたちですね。
ここで「いや、もっとこうした方がいい」と改善案を示したところで、そもそも与えられた仕事以上のことをするのをマイナスやデメリットと捉えているのですから、「仕事を増やすな」「押し付けるな」にしかならないわけです。
そうした言い分に対して学んだ知識や技術といった「正しさ」で返してしまうのではなく、「彼らもまたチームの一員なのだから、彼らが何に不満や不安を持っているか、そこを知るところから始めてみよう」と動き出すことが大切なのです。
仕事に対する価値観は人それぞれで、その価値観に至るまでにはその人なりの生き方があります。
その人生を一般論による「正しさ」で判断しようとしたところで「その人」には何の救いにもならないのです。
救いにならないからこそその価値観で生きようと決めて実践しているのですから、まずその価値観を理解し、寄り添うこと。そうして相手を受け入れることで自分の価値観を「私たちの価値観」へと磨き上げること。
こうして初めてチームから受け入れられるのです。
一度彼らの想いを知ればそれまで限定的だった自分の視野が広がり、より多角的に物事を捉えられるようになります。
それは自分の力の使い道や通りやすさ、影響範囲などが豊かになるのを実感することでもありますから、チームとつながることは自分の力を底上げすることにもなります。
また相手もこちらの考え方を知り、「こうでないと生きられない」というのが自分の思い込みなのだと気づくかもしれませんし、そうでなくても自分を理解してもらえたことで以前よりも仕事がやりやすくなったり成果を出しやすくなったりするため、変化を促されるようになるのです。
そうやってお互いを高め合う関係性ができたとき、チームとしてやれること、できることが膨れ上がります。それまで不可能だと思われていたことでさえ、チームメンバーの一人ひとりがそれぞれの能力を持ち合い、掛け合わせることで可能になっていくのです。
これこそチームワークの力であって、個人ではたどり着けない領域なのです。
チームワークが発揮する力についてより詳しく知りたい方は、ショーン・エイカーさんの著書「潜在能力を最高に引き出す法: ビッグ・ポテンシャル 人を成功させ、自分の利益も最大にする5つの種」をお勧めします。
ー 成功とは「どのくらいうまく周囲の人とつながりを持ち、他者に貢献でき、そこから恩恵を得られるか」という『最良適合』にある ー
自分一人で達成する限定的な小さい成功をもたらす「限定ポテンシャル」よりも、他者との間に生じる好循環によってのみ達成可能な大きい成功をもたらす「最大ポテンシャル」を目指すのが「潜在能力を最高に引き出す法」です。
そして「人を成功させ、自分の利益も最大にする5つの種(SEEDS)」とは
1.囲まれる(Surround)
2.広げる(Expand)
3.高める(Enhance)
4.守る(Defend)
5.維持する(Sustain)
の頭文字を取ったもので、それぞれが最大ポテンシャルにどう関わるかを事例を交えて説明されています。
ビッグ・ポテンシャルを読むことで「自分一人の正しさ」を追い求めるのではなく、チームを輝かせることが真に「より良い介護」への改善なのだと理解できるはずです。
ステップアップするには ~「お互い様」を理解する~
「正しさの罠」から抜け出しチームワークの力を引き出すことでステップ4へと上がることになります。そのためには、チームワークを行う上で中核となる「お互い様」という概念を心に落とし込む必要があります。
お互い様(おたがいさま)とは、両方とも同じ立場や状態に置かれていること、また、そのさまを意味する。
お互い様 -Wikipedia-
相手に迷惑をかけてしまったときに、相手の思いやりの精神で「お互い様ですから」と使用されてきた。しかし、相手に迷惑をかけた方が相手の立場を無視する意図で投げつける詭弁として使用されることがある。
「お互い様」という言葉を使うとき、「あなただって同じでしょ?」という意味で使われる場面を思い浮かべるかもしれません。いわゆる「お前だって論法」を用いるための言葉であると。
ここでいう「お互い様」とは本来の意味である「両方とも同じ立場や状態に置かれていること、またそのさま」のことです。
個人がどのような価値観や能力を持とうとも同じ介護職員であり、同じ職場で働く状態であり、同じチームなのです。その「同じもの」がお互いを支え合うように関わり合うとき、先述した「最大ポテンシャル」が引き出されてチームワークが機能するのです。
そしてこの「お互い様」は介護士と利用者の間でも同じことです。
同じ人として、同じ施設にいて、同じ時間を過ごすのですから、お互いがより良くいられるように支え合うことが大切なのです。
それは、介護報酬に定められるような特定の場面での介護(「コト」の介護)をするだけでは到底実現できません。
利用者にしても払った金額に見合うサービスを求めるのは当然の権利ですし、求められるサービスを提供してこそお互いが「介護士」「利用者」として対等になれるのです。
そして「お互い様」になるのは対等の先にある、人としての思いやりが生まれる「ヒト」としての介護を行うときなのです。
このように「お互い様」とはあらゆる場面で生じるものだと理性だけでなく感性でも理解できるようになったとき、介護士としてのステップアップがあるのです。
【併せて読みたい記事】
・「勉強する介護士」が少ないのはなぜ?
・介護で現状に満足してしまうとどうなるか
・「介護ってなんだろう?」と悩んだら読み返す。何度でも。
「想い紡ぐ介護士、ナカさんのブログ」では皆さんのコメントをお待ちしています。
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