以前の記事「豊かになる」介護士の5ステップでは、介護士として「豊か」になるためのステップを5段階に分けてお話ししてきました。
それは簡単に言えば「介護士はその定義から見直して突き詰めると『社会福祉の実現』にたどり着く」というものであり、「お金」に代表される物理的な豊かさから「感謝」という精神的な豊かさに移り、そうした「豊かさ」を感じ取る『生命』が介護の本質だと理解するプロセスを説明したものとなります。
「介護士とはなにか」はそれで説明し終えたものと思っていましたが、今時の介護士をよくみて見ると「そうした段階論とは別に『タイプ』でも分けられる」とわかってきました。
その中でも「キラキラ系介護士」とそれを揶揄する介護士の関係性を見て、「お互い同じなのになぜこんなすれ違いが起きているのだろう」という疑問を整理する過程で今回のタイプ分けが生まれました。
そのタイプとは
「キラキラ系介護士」
「ギラギラ系介護士」
「クレクレ系介護士」
「キレキレ系介護士」
の4タイプと、それとはまた別の1タイプとなります。
今回は「イマドキの介護士は5タイプ」と題してそれらのタイプをお話ししていきます。
主に「今の自分には何が足りていないのか」「なぜ職場のあの人はああいう風なのだろう」と悩む介護士さん向けになりますが「介護保険制度を利用する際に、自分や家族と関わることになる介護士さんにどういうタイプがいるのか」という点では誰もが知っておくと役立つ分類になります。
「イマドキの介護士」を理解するために
5タイプの解説をする前に、一般で言われる「キラキラ系介護士」についてお話ししていきたいと思いますが、実のところ決まった定義などはありません。
いわゆる俗語であり、ほうぼうで言われている特徴を一言でまとめると「現実がわかっていない」ということのようです。
たとえば「利用者さんの思いに寄り添う」とか「利用者さんの為に」といった考えばかりが先行してチームワークが取れていない、必要な業務を遂行できていない様を「現実がわかっていない」と言うようですが、この指摘に僕は違和感を覚えました。
では「介護の現実とは何か」と。
「キラキラ系介護士を揶揄する介護士がどれだけ介護の現実がわかっているのか」をきちんと分析しないことには不公平であり、実態も見えてこないのではないかと。
少なくとも
「介護の「生産性」を上げるのは誰のためか」でお話ししたような「介護の生産性及び科学的介護は利用者のためではない」こと
「「介護職の賃上げ」は「貧しさ」を生む」でまとめたような「介護業界からさまざまな利益を得たい組織・企業によって国民負担を強いる名目として介護職の賃上げが利用されている」こと
この二点を理解していない時点で「介護の定義」「介護保険制度の仕組み」がわかっていないと判断できますから、該当する方は「介護の現実がわかっていない」と見て良いでしょう。
そうしたことを踏まえた上でタイプ分けをしていきます。
「イマドキの介護士」を4タイプに分ける『軸』
タイプ分けをするにあたって、まずは「現実が見えているかどうか」で二分します。
ここでは「現実」を見る為に必要な条件を「目の前の出来事を『事実』と『感情』で分けられるか」で判断します。
なぜこう分けるかというと、目の前の出来事を「感情」的に見てしまった場合、その人の語る「事実」とは感情に染まった「事実めいたもの(その人だけの現実)」になってしまうからです。
周りから見れば明らかに間違っているのに、当人だけは「自分の感情だけが世界の全てであり絶対的に正しい」と思い込んでいる、というのは「現実が見えている」とはとても言い難いですよね。
なので、自分の感情を一旦傍に置いて、出来事をなるべく客観的に捉えること。
これができる人が「現実が見えている」のであって、仕事の出来やチームワークが取れているかどうかはその職場の問題であって「現実がわかっているか」の判断基準ではありません。
「現実」を見る為に必要な条件は「目の前の出来事を『事実』と『感情』で分けられる」こと
もう一つ、「原因をどこに求めるか」で二分します。
ここでは原因を「自分」に求める場合を『自力』、「他人」に求める場合を『他力』とします。
両者を分けるのは「責任感」であり、何か問題が起きたときに「自分が何とかしなくては」と考えるのが自力、「誰かが何とかしてくれる」と考えるのが他力です。
先の「キラキラ系介護士」で言えば、それが現場にとって迷惑かどうかはさておき、少なくとも「自分で何とかしよう」と行動しているのですから「自力」と言えますね。
一方でキラキラ系介護士を揶揄する介護士は、現場の仕事はしているものの、彼らを放置するばかりか「現実がわかっていない」と揶揄するばかりですから「他力」と言えます。
「そんなことはない」「自分たちはちゃんとやっている」と言われそうですが、本当に困っているなら自分から現場の状況を説明して彼らがチームワークを取れるよう導くのが筋です。
そうではなく「誰かが何とかしてくれる」あるいは「誰かが何とかすべき」と考えて自分からは動かないのですから、彼らを揶揄する介護士が他力であることは疑いようがありません。
「原因」をどこに求めるかを決めるのは「責任感」であり、それによって「自力」「他力」が分かれる
こうして縦軸に「現実・非現実」、横軸に「自力・他力」を設けると、「イマドキの介護士」が4タイプに分けられるようになります。
【非現実】かつ【自力】を「キラキラ系介護士」と捉えたとき、その反対に位置する「キラキラ系介護士を揶揄する介護士」は【非現実】【他力】の「ギラギラ系介護士」、あるいは【現実】【他力】の「クレクレ系介護士」と言えます。
また「キラキラ系介護士」とは異なり「現実が見えていて、自分で何とかしようとする介護士」を【現実】【自力】の「キレキレ系介護士」と分類すると、イマドキの介護士がどういう介護士なのかが見えてきます。
カテゴリ:【現実】【非現実】の説明
ここからは4タイプをカテゴリ別で説明していきます。
まずは【現実】【非現実】で分けてみましょう。
【現実】カテゴリの介護士は「介護の現実」が見えているため、自分たちが抱える問題を認識できています。
介護業界にいる時点で「給料」が劇的に増えることはないと知っていますし、現在の日本の介護が利用者本位や個人の尊厳、自立支援になどなっていない様子を現場で見ています。
これらの介護士たちにとってそれらは「見える」ことですから、まさかそれが「見えない」【非現実】の介護士がいるとは想像もつきません。また【非現実】の介護士に対して「現実から目を逸らしている」「言葉が通じない」という感覚を覚えるため、お互いが分かりあうことはないと切り離している節もみられます。
【非現実】カテゴリの介護士は「介護の現実」が見えていないため、目の前の出来事が「自分の感情がそう思わせているもの」なのか「実際にそうなのか」の区別が曖昧になっています。
利用者の言動がどういった背景から起きたのか、その事実確認をしないまま「自分はこう感じた」という感情を基点に行動する点で「キラキラ系介護士」も「ギラギラ系介護士」も同じですが、お互いに「こうはなりたくない」と突き離しています。
感情自体が個人的なものであることから「自分が正しい」と思い込む傾向が強く、他介護士を自分より下に見ている節がみられます。
カテゴリ:【自力】【他力】の説明
次に【自力】【他力】の説明をしていきます。
【自力】カテゴリの介護士は責任感を持って介護にあたる点で同じです。
「自分ならやれる」「自分がなんとかしないと」と思って率先して行動するのですが、あくまで個人的であってチームワークは取れていないのです。
なぜ個人的になってしまうのかというと、【自力】カテゴリの介護士は前提として「責任感は持つべき」と考えており、「責任は負いたくない」と考える【他力】カテゴリの介護士にも同じように「責任感を持つべき」と強要した結果反発されてしまうからです。
加えて【自力】カテゴリ内ですら「何に対して責任を持つべきか」が異なり、結局は「自分が一番」で周りがついてくるのが当然という態度を取るため孤立してしまうのです。
その上で、個々の「こうあるべき」理想が大半の人にとって「そこまでのものは求めていない」という事実を認めることができません。
それを認めるということは「存在意義を失う」ことですから、【自力】カテゴリの介護士は「そこまで求められていない」事実から逃げるためにより高い理想を追い求めるようになります。
【他力】カテゴリの介護士は極端にリスクを回避する点で同じです。
「誰かがなんとかしてくれる」「誰かがなんとかすべき」と考えて「自分でやらずに責任も負わない方法」を探し出すことに執着します。
そのため【自力】カテゴリの介護士を嫌がり、「ああはなりたくない」とカテゴリ内で結束します。時にその結束力は大きな力を生みますが、元々「責任を負いたくない」集まりなのでリーダーが不在であり、何かあれば「責任逃れ」のために散ってしまうので人から深く信用されることはありません。
信用が得られないために介護上のトラブルを引き起こしやすいのも【他力】カテゴリの特徴ですが、このカテゴリにとってトラブルとは「誰かのせい」であり、「誰かがなんとかしてくれる」「誰かがなんとかすべき」ことですから、決して自分たちから動こうとはしないのです。
しかしどれだけ器用に全力で責任逃れしようとも「責任逃れする『自分』からは逃れられない」という現実と向き合うこととなり、必ず「現実は自分で変えるしかない」という事実を思い知ることになります。
ただそれを認められないからこその【他力】であり、時に大きく矛盾していようとも「責任を負いたくない」一心で見えないフリや見なかったことにするのが【他力】カテゴリの介護士の特徴です。
ここまでのまとめ 〜タイプ別を考える上で大切なこと〜
ここまでが「タイプ別の概要」となりますが、「4タイプとは別のタイプ」についてはその特性上「概要」では説明しづらいため、次回にお話しさせてもらいます。
またここまでのタイプ別を見ていただいた中で「どのタイプもあまり良い点がないじゃないか」と思われたかもしれません。
そうなってしまった理由はタイプ別を考える上で起点となった「キラキラ系介護士」がそもそも「良い」と捉えられていないからで、その派生にあるものがすべからく「あまり良い点がない」ようになってしまうのは自然なことです。
現実に偏りすぎても、非現実に偏りすぎても。
自力に頼りすぎても、他力に頼りすぎても。
そのどれもが「不自然」であり「アンバランス」なのですから「自分が今どのあたりにいて、何が課題なのか」について意識していくことが大切なのです。
そしてどのタイプであっても「度合い」は人それぞれです。
「キラキラ系介護士」のタイプだからといって常に現実が見えていないわけではありませんし、「ギラギラ系介護士」のタイプだからといって常に他力本願でもありません。
タイプ別にするのは「自分がどのタイプか」「あの人はどのタイプか」を理解して「どうしていくか」を考えるためであって、「このタイプだからこうだ」とレッテル貼りをするためではないのです。
僕が「キラキラ系介護士」という言葉に違和感を覚えたのは、それが「こういう人がいるんだけど、どうしたらいいだろう」と考えるのではなくて「キラキラ系介護士はこうだ」というレッテル貼りが横行していたからです。
レッテル貼りをするなら自身もレッテル貼りをされなくては公平ではありませんから、「キラキラ系介護士」だけが「揶揄」されてしまうのは不公平だと感じたのです。
次回はそれぞれのタイプを個別に見ていきます。
介護ブログの他にも、介護ニュース等などを取り上げるnote、読書にまつわるアメーバブログを運営しております。
また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。
本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。
介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。
一緒に学んでいきましょう。
【併せて読みたい記事】
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