前回に引き続いて「忘れがたい利用者さんの思い出」についてお話していきます。
今回は「行き過ぎたおもてなしが何をもたらすのか」を自立支援とともに考える内容になります。
介護を考えるうえで大切な視点となりますので、最後まで見てくださいね。
あらがうことはできない
その方と初めて会ったとき、僕は息を飲み込みました。
こちらを射抜く鋭い目つきと、すらりと伸びた背から見下ろされる恐怖。
眉をひそめ、口角を下げた表情からは怒りしか感じない。
そして何より、全身から醸し出される気配が全身に突き刺さるかのようでした。
「お前、新人か?」
地の底から這いあがるかのような低い声でその方が尋ねられました。
その声に圧倒されて僕は息を詰まらせますが、ここで返事が遅れようものならそれこそ怒声とともに僕の介護士人生は終わってしまいます。
「はい、今週から入りました!」
緊張のあまり、やや上ずった声で返事をしました。
なるほど、この人に逆らおうとする人など一人もいないことがよくわかります。生物としての危機感が逆らうことを良しとしない。細胞レベルで抗ってはいけないことがわかってしまう、という感じです。
返事をした後数秒、その方が僕の全身を確認しました。
見るからにひ弱そうな僕は、その方からすれば取るに足らない存在に違いありません。
その方は特に関心を持つでもなく「そうか」とだけ呟いて玄関から送迎車まで黙って歩いて行かれました。
その方は左片麻痺で杖を突いて歩かれますから、僕は石畳の外から左側に回って半歩後ろを歩きます。
半歩前に行かなかったのはその方より先を歩くというのがおこがましい気がした為で、仮に歩行中にバランスを崩して倒れようものなら抱き着いてでも支えようと思っていました。
それが介護士として正しい判断かはわかりません。
ただ、初めて来た新人がその方の前を歩く方がその方の心証を悪くするように思われたのです。
送迎車前では運転手がうやうやしく踏み台を用意しています。その方が車内へ登りやすいようにする為です。
「おはよう」
運転手にその方が挨拶すると、運転手は軽く会釈して挨拶を交わしました。
その刹那、運転手は跪いて踏み台を手で支えます。その姿に一瞬呆気にとられてしまいましたが、ここで僕が下手を打てば全てが台無しになってしまいます。
僕は触れない程度に後ろに周って倒れないよう見守りました。
その方が流れるようにドアから一番近い席に座ると、車内の空気が一層引き締まるのがわかりました。それまで気ままにおしゃべりしていた利用者の皆さんが一斉に黙り込んで外を眺め出したのです。
その方の隣はいつも空席でした。
誰も隣に来ることは許されず、送迎も「ドア直近の席とその隣は空席」を前提にして組まれている程の徹底ぶりです。
神様のような
その方の力を思い知るのは施設に着いてからでした。
車輌から一番に降りるのは当然の事、踏み台をその方が降りる前までに自然と用意する運転手。出迎えには事務員総出。椅子までのエスコートは主任。お茶を配るのは若手女性職員と、何から何まで全力でのおもてなしでした。
そんな中その方は「すまんな」と一言言って席に座り、その後は何をするでもなくテレビを見ていました。
僕はその後ろ姿になんとも言い難い妙な寂しさを感じました。
考えられる限り最大限もてなされる割に、その方はどうにも満足しているようには見えなかったのです。
どちらかと言えば困っているような印象で、「そのように扱われて当たり前」というような傲慢さは少しも感じられません。
その方のリハビリを担当する理学療法士の気の使いようは一寸たりともズレを許さない程の緊迫感に包まれていたし、食事も音を立てないよう静かに、かつ迅速にお出しするようになっていました。
正直それはもう人としての扱いではありません。
さながら神様のようでしたし、その直感は間違いではなかったのです。
~ つづく ~
小休止 ~行き過ぎたおもてなし~
介護施設で働いていると「行き過ぎたおもてなし」を度々見かけますが、今回の話はその中でも際立っていたかと思います。
一般的な感覚だと「そりゃやり過ぎでしょ?!」と感じるでしょうし、実際その場で働いている職員たちですらやり過ぎだと感じていました。
では、なぜこんなことが起きてしまうのでしょう?
それは「自立支援」という視点が抜け落ちているからです。
自立支援(じりつしえん)は、対人援助における対象者の自立に向けた支援をいう。
Wikipedia
「対象者の自立」をもう少し柔らかい言葉で言うと
「その人が自分でできることはその人に任せる」
ということになります。介護福祉では特に日常生活における自立を指すことが多いのですが、精神的な面での自立も含まれています。
以前の記事「介護士と家族の関係性とは?」でもお話しした国際生活機能分類(ICF)の発展により、その人がもつ困難さに目を向けるだけではなく、その人が持つ力にも注目して支援していくことを自立支援というようになりました。
この観点から「行き過ぎたおもてなし」を「自立支援につながらないサービス」と定義します。
このとき、介護・福祉施設が行き過ぎたおもてなしをしてしまうとどうなるのでしょう。
行き過ぎたおもてなしを受ける利用者さんは、自分から何もしなくても周りがやってくれるので「自分の力で何とかしよう」と思わなくなります。
そうなると、使わなくなった力はどんどん衰えていきますから、今まで出来ていたことが段々と出来なくなってしまいます。自分一人で歩けなくなったり、ご飯が食べられなくなったりするわけですね。
すると、施設側はもっと甲斐甲斐しく「おもてなし」をしてくれるようになります。福祉サービスを提供することで施設は収益を上げているわけですから、必要となるサービスが増えるほどより手厚くなります。
こうなると、あとは「利用者の能力低下」と「施設の収益」が循環するようになります。行き過ぎたおもてなし、すなわち「自立支援につながらないサービス」は施設側の収益化に福祉サービスの利用者さんが「利用される」形を生み出すわけです。
これでは、自立支援とは真逆の道のりをたどってしまいますね。
普段の介助ないし支援から「自立支援」の観点がいかに大切か。
介護士個人でも行き過ぎたおもてなしをすれば相手を依存させる形を生み出しますから、普段から「自分のやり方は相手のできることを奪ってはいないか」という視点が必要になります。
【併せて読みたい記事】
・介護士と家族の関係性とは?
・忘れがたい利用者さんとの思い出 ①共感力
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