僕が介護を通じて出会った200人以上の方の中でも、かけがえがないと思える方がいます。
今回から数回にわたり、その方との思い出とその都度僕の考えをお話していきます。
なお「障害」の表記については「障がい」とするのか「障害」「障碍」とするのかで様々な考えがあるかと思いますが、僕個人は「表記の仕方で障害にかかわる諸問題の本質が解決するものではない」という考えですので、私的立場においては以降「障害」の表記を用いることをあらかじめご了承ください。
お話の前に、背景を
その方と出会ったのは派遣社員二年目に配属された『身体障害者福祉施設』でした。
その中でも僕が紹介されたのは重度の身体障害と知的な障害を併せ持つ重症心身障害(児)者と言われる、簡潔に言うなら「自分の意思で動けない、話せない、食べれない」方々への支援でした。
障害(しょうがい)とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもののことである
障害 ‐ Wikipedia
重症心身障害児(じゅうしょうしんしんしょうがいじ)とは、児童福祉法上、重度の知的障害、および、重度の肢体不自由が重複している状態にある児童・生徒を指す(児童福祉法第7条第2項)。
重症心身障害児 ‐ Wikipedia
重症心身障害の状態にある児童・生徒を「重症心身障害児」と称する(児童福祉法第7条第2項)。重心と省略されたこともあったが、差別的ニュアンスが強いため、児童の時期は重症心身障害児、それ以降は重症心身障害者との呼称が提唱され、併せて重症心身障害児(者)と呼ばれることがある。(省略する場合は、重症児・重症者・重症児(者)と称されることがある。)
その施設は以前の記事「忘れがたい利用者さんとの思い出」でお話ししたような見守りが主となる施設とは異なり、生活場面のほぼすべてに支援を必要とする方々が集う施設です。
たとえば言葉で話せる人は全体の一割ほどで、基本的に言葉での会話のしようがなく、相手が今何を望んでいるかを察せられない。一般的な「会話」の概念だけ取ってみても重度の障害を持つ方々と関わっていくことの難しさを痛感しました。
自分の介助力不足を痛感していた僕には求められるレベルが高く厳しい環境で、解決の糸口などまるで見えず、結局職員さんたちに助けを求めなければ何も出来ませんでした。
そうなると「あいつ派遣社員なのに何にもできないなぁ」と陰で言われてしまいます。
中には豪胆な人もいて「お前、派遣社員のクセにオムツ一つマトモに付けられないのかよ」と直接言われました。
そこまで言われる背景には先輩派遣社員さんの言動があり、どうやら僕は先輩とは違うことを証明しなければならないようでした。
(その後派遣社員としてどういう対応をしたかは以前の記事「僕が介護の派遣社員で働いて感じたこと」をご覧ください)
かけがえのない人との出会い
ところが重症心身障害者の支援というのは頑張ればすぐに成果が出せるほど甘くはありません。
なにせ、僕たちが普段から「当たり前」と思っている事がまるで通用せず、どうすれば良いのかは状況から察するより他ありません。
しかもその状況は、僕たちの常識で測ろうとすると「悪いこと」になりやすいのです。
例えば楽器を思い切り床に叩きつけたり、噛み付いてきたり引っ掻いてきたり等。
それを「悪いこと」と知らずにやっているのか、知っていても「他に方法がないから」やっているのか。その辺りが一人ひとり違うので、ひたすらに理解しようとしなければ察することができません。
そういった背景もあり、よほど根気強くやらなければ大抵の場合、自分たちの常識に頼って「あんたが悪い」と障害を持つ方々を評価しがちになります。
では、僕はどうだったか。
このとき出会ったのが後に「かけがえのない人」と心から思える青年でした。
あらぶるタイヨウ
彼を一言で例えるなら「あらぶるタイヨウ」でした。
彼は背が高くて体格が良く、筋力もあり、並の人間ではパワー負けしてしてしまいます。
そのうえ手に届くものは手当たり次第投げ、退屈なら車椅子をバンバン叩き、側に人がいようものなら全力で引き寄せて撫でまくります。
昼食の時は食べ物を全力で掴んで遊び始めます。彼の側にはうかつに近寄れず、パーテーションを引いた隅に追いやられて職員と一対一で格闘する毎日でした。
そんな具合なので、職員も彼の支援には気合を入れなければいけない状態でした。
女性では怪我の心配もあるので、主に男性が彼の担当です。
そんな彼の食事担当になった時、僕を取り巻く環境は変わっていったのです。
~ つづく ~
小休止 ~わかりあおうとする営みを~
多くの人にとって高齢者介護の想像はなんとなくつくかと思いますが、障害者支援の想像は付きにくいでしょう。
最近ではテレビでも障害者を取り上げる機会が増えて段々と周知されていますが、それでも障害にかかわる事件に対する世間の反応を見ているとその認知は表面的な印象を受けます。
本文中にも書きましたが、障害者支援というものは「頑張ればすぐに成果が出る」というたぐいのものではありません。
そもそも介護・福祉分野が「ヒト」へのサービスである以上「AをすればBという結果になる」というマニュアルが通用しない分野であり、そのうえ高齢者とは異なり障害者のたどる人生は想像がつきにくいのです。
ともすれば障害をもつ生きづらさを、言葉や映像で想像することはできるかもしれません。
しかし経験としてその生きづらさを得られるかと言われると、疑似体験はできてもそれは一時的でしかありませんから真に迫ることはありません。
自分の手足が動かない人生とはどのようなものか。
ご飯を食べたり飲み物を飲んだりといった「生きるために必要なこと」を他人に握られている状態とは。
トイレやお風呂といったプライバシーに関わる部分を自分の意志とは関係なく他人にさらさなければならない心情とは。
それらすべて「わかったつもり」にはなれても「わかる」ことはありません。
なぜならそれらは本人にしか知りようがなく、本人もまた周りの反応から学んでいき、日に日に理解していくものだからです。
そしてそういった変化を本人が自覚できるか。
できたとして伝える側と受け取る側の送受信がどこまで正確か。その正確さをどう判別するか。
このような状況を鑑みるに、「わかる」のは難しいのです。
とは言え、です。
このような話は障害のあるなしに限ったものではありません。
僕たちは言葉や映像を通じて相手のことをわかったつもりでいるだけで、その実まるでわかっていないのです。
たとえば目の前にいる相手が今何を考えているのか。
しぐさや表情からなんとなくわかるような気になるけれど、本人の口から聞かなければわからない。
しかも本人が口にした言葉が本当に正しいのか知りようがない。
正しいと信じるより他なく、また本人ですら自分の考えと自分が選んだ言葉が一致しているか把握しきれていない。
すべてが誤解なく伝え、伝わっているか。
突き詰めて考えるとそれは誰にも知りようがないのです。
ゆえに、誰もが「わからない」。
その曖昧さの中で多くの人々が不安になったり混乱したりしないよう、社会に「わかる」前提(規則やしきたり、暗黙のルールなど)を設けて折り合いをつけさせ、「わかったつもり」にさせるのです。
本来お互いわからない者同士なのだから、「わからない」前提にすれば「わかったつもり」になる必要はありません。
最初から「わからない」前提で、その前提があるからこそお互いが慎重に歩み寄り、知り合い、支え合うことができるのです。
こうした「わかりあう」営みの中で不安が消え、混乱もせずにお互いに社会の中を生きていくことが「福祉(しあわせ)」に通じるのです。
しかし社会をまとめ上げるためにそうした過程を省いて「わかる」前提にしてしまうから、人々は「わかったつもり」になりたがり、「わかったつもり」になれる人となれない人の間に壁が出来てしまうのです。
そしてこの壁が「人と人がわかりあおうとする妨げになるもの」、すなわち「障害」となるのです。
【併せて読みたい記事】
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・僕が介護の派遣社員で働いて感じたこと
・他業種から介護職へ移った方が陥りやすい「マニュアルの罠」
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