今回は介護の中でも「高齢者介護でこの仕事をやっていてよかったこと」を5つ紹介していきます。
その5つとは
- 1.仕事を「好き」にさせてもらった
- 2.自分にはまだ見えていない能力を引き出してもらった
- 3.「創意工夫が問題を解決する」と体験させてもらった
- 4.自分が生まれる前の時代について「生の声」を聞かせてもらった
- 5.「人生の最期」から大切なものを教えてもらった
となります。
1~5を見て人によっては「これのどこが『良かったこと』なの?」と思う部分もあるかと思います。
特に「5.「人生の最期」から大切なものを教えてもらった」に関しては今回最もお伝えしたい内容になりますので、最後までゆっくりと読んでいただければと思います。
仕事を「好き」にさせてもらった
介護にやりがい・いきがいを感じる方の多くは、自分の働きぶりや生き方を「あなたすごいわねぇ」といった感じで褒めてもらったことがあるかと思います。あるいは言葉がない代わりに笑顔を見せてもらえることもあるでしょう。
そうした「認められる」経験は今の社会では得にくいものですから、それだけでも介護をやっていてよかったと思えるものになります。
(参照:自分と向き合うべきただ一つの理由)
「この『褒める』『笑顔』が介護の最大の報酬だ」と言うと、「いやいやそんなのより給料が多い方がいいよ」と思われるかもしれません。
しかし介護報酬が社会保障費(国の税金)でまかなわれ、所属する施設が介護保険制度の定める介護サービスを提供する以上、報酬単価を超えてお金を稼ぐことは叶いません。
施設が稼げなければ給料が増えることはありませんから、どうしても介護分野で稼ぎたい場合は自分で施設か訪問介護事業所を立ち上げるくらいしか抜け道はないのです。
そこまではできないけど「お金を稼ぎたい」「多い給料が欲しい」と言うのであれば、より条件のいい施設を探すか、介護から離れて別の仕事をする方が良いでしょう。
現状転職がむずかしいという方であれば、介護をする中で自分にとっての「やりがい」「いきがい」を見つけるより他ありません。
まして「稼ぐ」にあたっては「給料」より「長く働くこと」のほうが大切です。
どれだけ給料が多くてもその職場で働けなくなったら「給料ゼロ」になるわけですし、介護分野で介護サービスを提供する以上給料が増えないわけですから、「やりがい」「いきがい」が介護士さんにとって重要な「長く稼いでいく力」であることを忘れてはいけません。
そうして「やりがい」「いきがい」を「お金以外の報酬」という視点で捉えたとき、介護を通じて利用者さんから何をいただいているのか。
それはやはり「認められる」こと。
褒められ、笑顔を向けられることで「今日も一日頑張ろう」という活力をいただけることになるのです。
自分にはまだ見えていない能力を引き出してもらった
高齢の方々は、自分の人生の何倍もの長い間生きてこられた方々です。
生きてきた時代が異なるためその全てが自分の人生に当てはまるとは言えませんが、いつの時代でも変わらないものもあります。
その一つが「能力」であり、長い人生経験から「この人にはこういう能力があるのではないか」という推測が立てやすいようです。
そうして推測された「能力」を、介護を通じて直接的・間接的に引き出してもらったのです。
たとえば「人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由」でお話ししたように、自分自身が人よりも挫折しやすい人だったからこそ「人のつまずかないところでつまずく人への共感力」を持っていることに気づかせてもらいました。
『忘れがたい利用者さん』とは「想いの強さ」によって相手の誠意・真意を測る能力を引き出してもらいました。
また『神経質すぎる利用者さん』から「職員さんのなかでもナカさんだけは違った。あなたには僕のような人にも付き合える優しさがある。その優しさであなたがどうなっていくのか、楽しみだわ」と、人にはない優しさを持っていることを教えてもらいました。
その後、それらの力は人の想いをくみ取り、温め、次につないでいく自分の軸『想い紡ぐ』へと集約していったのです。
とはいえ当時はそのようなことを考えて介護をしていたわけではなく、ただがむしゃらに目の前の利用者さんに全力で向き合っていっただけでした。
後ほどになって米ギャラップ社の提供する「ストレングスファインダー」を実施したところ、僕の資質TOP5に占めるものが
- ① 内省
- ② 回復志向
- ③ 着想
- ④ 学習欲
- ⑤ 収集心
であることがわかったわけですが、その中でも「回復志向」の資質が利用者さんの状況を分析し、何が悪いのかを突き止めて解決策を見つけ出すことに大きく関わったのだと思います。
「回復志向」の資質が高い人は、問題を解決するのが大好きです。どこに問題があるのかを探りあて、それを解決することに長けています。
クリフトンストレングスの資質「回復志向™」の紹介
※ ストレングスファインダーの資質については「ハート・ラボ・ジャパン」の「ストレングスファインダー®とは」で詳しく解説されていますのでそちらを参考にしてください。
また自身の性質としてHSP(Highly Sensitive Person:とても敏感な人)を持ち合わせていることもわかりました。
ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは生得的感受性[)を持つ人のこと。
ハイリー・センシティブ・パーソン -Wikipedia-
※ 詳しい内容については「HSPについて ~生きづらさを生きやすさへ~」に書かせてもらいましたので、ぜひご覧ください。
自分の持つ繊細さが「言葉にならない想い」を察して、人生観や性格などから「話せない」利用者さんの想いに寄り添って問題を解決することが多々ありました。
この繊細さはいいことばかりではありませんでしたが、それでも介護を通じて「その繊細さが人を救うことがある」ことを教えてもらえたのは大きな救いとなりました。
「創意工夫が問題を解決する」と体験させてもらった
介護現場はともすれば「無理難題の宝庫」とでも言いたくなるほど普通に考えたら解決できない問題にあふれています。
「外に出せ!」と杖で自動ドアを叩いて怒り心頭の男性利用者さんや、夜7時になると必ず「家族に連絡してくれ」と切羽詰まった表情で介護室にやってくる認知症の方など、相手の言い分をそのまま受け入れてしまったら大きなトラブルにつながってしまう問題が多々ありました。
実際に相手の剣幕に負けて職員同伴で外に散歩に出てみれば「付いてくるな!」とさらに暴力的になったり、家族さんに毎日電話をしたら「毎日連絡されてはこちらの身がもたない」と言われてしまったりするものですから、介護現場とはそういった問題が頻発する場所でもあるのです。
こういった問題を真っ向から受け止めていたら職員の心身がもちません。
職員が向き合うべきは利用者さんの「想い」であって「問題」ではないのですから、問題に対しては創意工夫で解決していくべきものなのです。
たとえば杖で自動ドアを叩く方には、その真意を確認するために「話を聞くための席」を設けてご案内し、施設長やサービス提供責任者といった「施設側の権力者」によって「聞く誠意」を見せることで想いをくみ取るようにしました。
結果「娘に話がある」というところに落ち着き、娘さんに電話で事情を説明して施設に来ていただくことで納得されました。そしてそれ以降その方が自動ドアを杖で叩くことはなくなり、男性職員には威厳をもって、女性職員には娘を育てるような優しさで接するようになりました。
また「家族に連絡してくれ!」と介護室にやって来られる認知症の方には、本人の目の前で電話をするようにしました。
とはいえ電話する先は家族さんではありません。ロッカーにしまってある自分の携帯です。
その状態で子機をその方にお渡しすれば、当然いつまで経っても通話はできません。
すると「先生、息子が電話に出てくれんわ」と子機を返してくださるので「この時間ですから息子さんも忙しいかもしれませんね」とか「まだ残業中なのかもしれませんね」と言って「本人が納得できる落としどころ」を用意します。
それで納得されれば「先生、お忙しい所お騒がせしました。今日は部屋に戻って寝ますわ」となりますし、「もう一度かけてもらえませんか?」と言われればもう一度行います。
二回目も通話できければ「本当にあいつはしょうがないなぁ」と言いながらも介護室に来た時の切迫した表情は抜け落ちて部屋に戻られます。
この繰り返しで認知症による不穏状態を本人の「納得する力」で抑えつつ、時折こちらから息子さんに電話連絡をして状況をお伝えし、施設に面会に来てもらえるようにお話ししました。
実際に息子さんに会うことで毎日の「電話をする」という行為も「その方にとっての真実」となり、また息子さんも毎日電話を受けずに済むようになるため、どちらの問題も解決できたわけですね。
この話で間違えてはいけないのは、その方の真の目的が「息子さんに電話すること」ではなく「認知症によって生じる自分の不安を取り除くこと」だったということです。
職員さんの中には「騙しているようで何だが気が引ける」という方もいましたし、その職員さんには自分のやり方を一度やってもらって、本質から反れた対応では問題は解決しないことを体験してもらいました。
誰のために、何をするのか。
その本質を見極めて創意工夫によって全員の問題を解決すること。
これも介護を通じて学んだ大切なことです。
自分が生まれる前の時代について「生の声」を聞かせてもらった
僕が高齢者介護をしていたのは2005年~2013年の間になります。
この頃にはまだ大正生まれの方もおられましたから、その方々の「子どもの頃の話」は大正時代のものとなります。
大正時代。
歴史の授業では紙面で当時の様子を伝えられ、なんとなくのイメージで「こういう時代だったんだなぁ」と理解していました。
護憲運動に大正デモクラシー、米騒動。第一次世界大戦と近代化、成金。
激動の15年を当時生きていた方から言葉として直接語られると、そこには真実がつまびらかになる感動がありました。
もちろんその頃にはその方も子どもですから、それらについて詳しく知ることは後々になってからだったと思います。
それでも実体験を伴う「生の声」は空気感・真実味が違ったのです。
大正時代だけではなく「戦争」、すなわち第二次世界大戦のことも外せません。
僕が介護で関わった方の多くが青少年期の戦争体験者であり、実際に戦地に赴いた方、日本で貧しさを極めた生活を送られた方、息子さんを戦争で失った方などの「生の声」を聞く機会に恵まれました。
その中でも男性利用者さんの一人が「みんな戦争のことをただ悪く言うけど、僕らにとってはあれが青春だった。あの中でしか生きられなかったんだ」としみじみ語る姿が印象的でした。
あまりに過酷な時期だったからこそ、意味を求めずにはいられない。
戦争の影に最期まで脅かされることになっても、それこそが自分の生き様なのだと誇りを持つ。
異様な熱狂に飲まれて多くを失ったからこそ、そこから這い上がった人生に絶対的な価値を感じる。
そういった価値観はその時代を生きてきたからこそのものなのでしょう。
戦争を経験していない僕らからすれば、戦争のもたらしさ甚大な被害を前に「戦争は悪だ」と断じたくなる気持ちになりますし、二度と戦争を起こしてはいけないことは誰もが理解しているかと思います。
でも単に「戦争は悪だ」と断じてしまうのは、時にその時代を生き残った方々を否定してしまう言葉になってしまう。そういう可能性もあるのだとその男性利用者さんの話から学ぶことになりました。
望まないまま戦争に巻き込まれ、必死の思いで生き残って、今食べるものすらない中でどうにか明日につないできたその人生に「その方なりの価値観」を持つことすら許さないというのは、本人の気持ちに寄り添えば「あの辛かった時期をなかったことにされるのか」という残酷さがあります。
実際当時の職場では戦争の話を避けたがる職員さんもいましたが、そうした「その人なりの価値観」を受け入れなかったがために認知症状を悪化させたり暴力・暴言を引き出したりしてしまいました。
物事というものは複雑に絡み合い、単純に「良い悪い」では割り切れない。
そう学ばせてもらいました。
「人生の最期」から大切なものを教えてもらった
日本の核家族化が進んで久しい現代では「人生の最期」に立ち会う機会がめっきり減りましたし、仮に立ち会えたとしてもそれは事後であって悲しみばかりをもたらすものとなっています。
それだけにその別れを避けたがる方もいますし、消化しきれない想いを抱えたまま自分の人生に影を落とす方もいます。死とはそれほど影響力の強いものなのです。
しかし介護を仕事で行う以上、「人生の最期」と向き合うときが必ず来ます。
その時に介護士さんが恐れてばかりだと利用者さん自身を怖がらせたり、孤独にさせたりします。
(参照:利用者さんとの別れをどう受け止めたらいい?)
僕は実際に幾度となく利用者さんの「人生の最期」と向き合ってきましたが、悲しみはあるものの、それ以上に大切なものを教わりました。
それは以下の2点です。
①「今」を大切にすれば「最期」も豊かさに包まれる
②「今」をおろそかにすれば「最期」にその代償を払わされる
①と②は表裏一体で、現実の自分を大切にするか、それともおろそかにするかによって「人生の最期」が決まるということです。
それは健康であっても、仕事であっても、勉強であっても、何に対しても全て同じことです。
「今の健康」を大切にすれば「自分のことが自分でできる」幸せが長く続き、
「今の仕事」を大切にすれば「自分の力で生きる」自信を持ち続けられて、
「今の勉強」を大切にすれば「これからの自分」に期待をもって過ごせます。
こうして「今の自分」を大切にしていけば人生の豊かさを感じながら「人生の最期」を穏やかに受け入れられるようになるのです。
逆もまた然り。
「今の健康」をおろそかにすれば「自分のことが自分でできない」苦しみが長く続き、
「今の仕事」をおろそかにすれば「自分の力で生きられない」不安を持ち続けて、
「今の勉強」をおろそかにすれば「これからの自分」に不満をもって過ごすことになります。
僕は介護を通じてこの両者の「人生の最期」を見届けてきました。
前者は食事やレクリエーション、お風呂などを楽しみながら「明日も楽しく生きる」ように、後者は痛みに苦しみながら「一日でも早く終わる」ように最期を迎えられました。
そしてこの両者を分けたのは、やはりそれまでの人生を大切にしてきたかだったのです。
健康でいえば、暴飲・暴食を控え、睡眠をしっかり取り、適度な運動をしていたか。
仕事でいえば、自分に与えられた仕事を創意工夫でもって、周りを大切にしながらやり遂げたか。
勉強でいえば、自分の得意分野に収まらず、幅広く学んで人のためにその知識を用いたか。
どれかが欠ければ他にも影響を与えて「おろそか」になっていきます。
なぜなら健康だけに気を遣っても、仕事だけ頑張っても、勉強ばかりしていても、それを認めてくれる「人」がいなければ独りよがりになり、今を大切にする意味を失うからです。
どれだけ健康でいても、自分だけ長生きしていれば別れが多くなります。
どれだけ仕事を頑張っていても、周りや家族を省みなければ孤独になります。
どれだけ勉強をしても、自己満足の域を出なければ現実を変えられません。
そうして誰にも認められず孤独になっていけば「自分が生きる意味」すら失われます。
自分が生きていることを証明してくれる「人」が周りにいないのですから。
だからこそ。
「認めてくれる」という価値はすべての人にとって大きなものであり、介護は人に認められる機会が一般の仕事よりも多いのですから、自分の人生において測りきれないほどの価値をもつ仕事なのです。
最初に「『褒める』『笑顔』が介護の最大の報酬」とお伝えしたのは、それらを受け取り「認められる」ことで自分の人生を豊かに過ごすことができるからなのです。
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